宗英は安永2年に18歳で宗英と名乗った。この対局より70数年後の名簿に四段、町人、鵜飼彌五郎≠フ名が見られるが、はたして本局と同一人物なのか、それとも子か孫で代々将棋が強かったのかは不明である。本書で両者はこれまで彌五郎の上手で左、右香落ちの二番を指しているがいずれも宗英の勝ち。手合が直って平手になったのだろう。24手目彌五郎の5五歩から4五歩はさすがに無理筋で、31手目5三桂不成の返し技を浴びて銀桂交換の駒損に。これで将棋はほぼ終わりのはずなのだが、宗英優勢に楽観しすぎたせいか指し手が少々雑で、70手目4七飛成とされ5八銀打と受けなければいけないようでは変調だ。しかし玉型の差が大きく逆転には至らず、やや手間取ったものの結局宗英が押し切った。