十一代宗桂八段は大橋家の権威を高めることに努力した人。初代宗桂の顕彰碑の建立や、現在将棋博物館に展示中の大橋家系図作成などを行っている。大橋柳雪は一旦大橋分家の養子となったが、後廃嫡となり野に下った。段位は七段だがそれ以上の実力を持っていたとされ、その将棋は大橋宗英、天野宗歩らと並んで今日でも高い評価を受けている。25手目9七角と覗いた局面は山田定跡≠ニ5七銀の右左のみの違い。古棋譜、古定跡の研究も熱心に行った山田道美九段であるから、案外定跡発想のヒントは本局だったのかもしれない。4一飛なら先手はどんな構想で指したのかも興味あるところだが、柳雪は強気に4五歩と応じる。飛車角交換となっては先手の指せる形と思うが、柳雪は金を中央に繰り出し44手目9五歩が厳しい仕掛け。同歩は9七歩、同香、6五歩で5三角の筋を絡めて受けきれない。とすれば先の2六飛は疑問手だったか。宗桂も3五歩から反撃するが端のと金はやはり大きい。以下もぎりぎりの攻防が続くが、78手目7八とが読み切りの一手。最終9一玉まで、後手玉は打ち歩詰めで逃れている。

四郎右衛門は商人(蔵前伊勢屋)で後に青地青季と号し、素人最高位の七段に昇った人。最もこれはお金≠フ力で、本当は四、五段の実力だったとの伝もあるがそれでも大したものである。大橋本家にとっては大切な大旦那だったのであろう。本局、宗桂の取った作戦は腰掛銀右四間飛車急戦。今日も盛んに指されているこの戦法のルーツは以外に古く、初代伊藤宗看の棋譜に既に窺うことができる。これに対し四郎右衛門の指し手はやや鷹揚な感じで、28手目8五桂と仕掛けて手になっている様。予め9八香と備えたかったが、当時はこんな手は思考の埒外だったのだろう。41手目5七角は苦心の受けだが、次の3三桂が飛車を取った後の香取りを防ぐと供に4五桂を見た好手。で、本譜はその4五桂を喰ってしまったからたまらない。これではさすがに粘り様も無く、わずか50手で終局となった。