家治公の棋力については某歴史書においてどうみても初段か二段≠ネどと評されているが、これはかなり酷い中傷で判断は皆様にお任せするが、少なくともアマ高段の実力はあるように思える。多分巷説に伝わる悪老中田沼意次に篭絡された馬鹿殿とのイメージから、将棋も家元、家臣らに手抜きされて喜んでいたのだという固定観念のもとに書かれたものであろう。近年、開国までも視野にいれた重商政策で幕府の財政建て直しを図った田沼意次が再評価されつつある中、この文化、芸術を愛した将軍の才もまた見直されることを祈りたい。五代宗印は前名鳥飼忠七といい、七世名人三代宗看の子四代得寿の早世で伊藤家に養子となり七段まで昇った。居飛車矢倉に向い飛車の対抗型、44手目6五歩は開戦前に玉を薄くさせておく狙い。居飛車も3筋から反撃し銀交換に、しかし3六歩と打った形が重いのと玉型の差で、ここでは振り飛車が指せる分かれ。65手目4四銀の食い付きに2五桂は4五桂と跳ね違いされて疑問、単に4八角と打って優勢だった。本局もこの辺少々手心が加わっている模様である。5三桂成が実現して一手違いの争いに。際どい寄せ合いが続く中97手目4八角に同成桂が敗着か、6八金から2枚取られてしまったのが痛い。ここは6七金として、2六角は詰めろでない(パソコンソフトで確認)ので6六金が8六桂以下の詰めろで後手の勝ち。しかし先に4一飛は詰めろで受けさせてから(7二金打?8一金?6一金?)2六角でどうなのか。非常に難しいので解説は投了、しかしここが最後の綾だったろう。105手目7一銀から駒を全部使ってのきれいな詰みは見応えがある。