この時代の少し前が詰将棋≠フ正に黄金期であり、図式集の頂点とされる看寿の図巧≠竅Aあまりの難解さに「詰むや詰まざるや」と呼ばれた三代宗看の無双≠ネどの献上図式が創られた。家治公も今日将棋攻格≠ニ呼ばれる図式集を創っている。大らかな作風の易しい問題が多く特に傑作集というわけではないが、それなりの作品を百題創作することの難しさは詰将棋を創った経験のある方には良くお分かり頂けるだろう。このことからも家治公の力量の一端が窺える。本局は当時では珍しい横歩取りの乱戦。18手目4五角は2四飛、3八歩(単に2三歩は2八飛がある)同銀、2三歩、7七角で3八銀の形がしっかりしていて先手良しなので先に2八歩と打たなければいけない(但し筆写ミスの可能性あり)本譜は7七角なので結局25手目2八同銀で今日の定跡パターンに戻った。27手目3六香はこう打ちたくなるが疑問手で、3五歩から2五飛の両取りが痛い(定跡は2一飛で先手良し)33手目9六角から馬も切って3八金打と懸命の受けだが到底凌げそうも無い。50手目6九銀では6八銀と打てば5九金の筋もあって受け無しのはずで、宗桂がこの手を読めないわけがなく少々緩め方が露骨な感じ。本書の末尾に宗桂の筆で他見不許≠ニ記されているが理由として「1.将軍様の棋譜を一般に公開するのは恐れ多い」のと「2.名人(他家元衆)がこんなひどい手を指したと思われると困る」からであろう。実戦はさんざん駒を渡したため57手目4二銀から即詰みが生じた。変化は多いがどう応じても逃げられないのでご確認頂きたい。それにしても詰めに関しては鋭い将軍である。