四世名人五代宗桂は三世名人初代伊藤宗看の長子。四代宗伝早世によって断絶の危機に瀕した大橋本家に入りその家督を継いだ。綱目には盲人棋士が多数登場するが、山崎勾当もその一人である。(勾当は名前ではなく盲人の官位を表すもの。上位より検校、勾当、座頭、都)宗桂の門下で師との対戦を始め多くの実戦譜を残し、遂には自らの勝局集「象戯亀鑑」を刊行するほどの奇特な将棋好きであった。但し言い伝えではこの本に敗局ばかり載せられた師の宗桂(こちらは稽古将棋のつもりだったはず)の逆鱗に触れ、破門の憂き目に遭ったという。そんな因縁が事実かどうかはさておき、本局はなかなか力の入った熱戦で、終始押し気味に指し進める勾当に宗桂も腰の重い粘りで応じ、特に終盤、宗桂玉に迫る勾当の桂を二度に渡って角で抜く手順は圧巻。最後は即詰みに討ち取り師の貫禄を示した。「綱目」掲載の棋譜の中でも屈指の好局といえるだろう。