『将棋新報』第13巻第6号関根氏の名人披露会
豫(か)ねて準備されたる関根金次郎氏の将棋名人昇格の披露会は、 5月8日の第2日曜日を以て日比谷大神宮境域なる大松閣に於て開催されました。 会場は3階の広間を以て充(あ)てられ、凡(およ)そ百畳にも余るべく、 且(か)つ傍らの三室をも喫茶席、休憩席に充(あ)て、 更(さ)らに食堂としては二階の一室を充(あ)て、対局の席中にては飲食を断りたれば、 場中も自ら清浄の気が満ちましたのは結構でありました。 之れまでも大会の節は飲食室は別に設けられてましても、 茶菓だけは自然場中に用ひられる例でありましたが、 今度は茶菓までも別席に備へたのは好き方法でありましたから、特に記して今後の例と致さんことを注意して置きます。
近時東西の棋士を会した大会とも云ふべきは、土居氏の八段披露会(日本橋倶楽部)、 井上八段の主催(上野公園常盤華壇)、小野名人の九十歳寿会(同上)でありました。 が今回の関根氏が選ばれました大松閣は一層宏荘でありまして、都下目抜きの京橋、日本橋の市街を一方に見晴らし、 一方には宮城のお堀の辺より日比谷公園を望み、更(さ)らに麹町等の高台なる翠徴(すいび:遠くに青く見える山)を眺め、 四方晴れ晴れしき気分は如何にも名人披露会と云ふ光栄ある棋会に適合した感じがいたしました。 特に前日までは霖雨の如き状態であった陰鬱なる天候が、 此日は朝より晴れ上がりて、初夏のうららかなる空合ひは一層来賓の快活味を加えたやうでありました。
此日来会せし棋士は大阪より坂田八段、木見七段を始め高濱、高橋等の高段、 名古屋よりは高村六段を始めとし二三段の棋士も同行し、 更(さ)らに満州在住の矢野七段、山形県酒田の竹内八段等も態々(わざわざ)遠来し、 之に東京の棋士全部を加へて五十人にも達したるは、 之れ又近年に見ざる盛況にして、関根氏の名人に対して全国棋士間に何等の隔意なく全く、 同氏の好運と人望を證するに余りあったやうであります。 席上には何れも上等の榧盤のみ五六十局を並べ、棋士の対局の他に来賓の競技に備へましたのも見事に見渡されました。 当日の来賓は堂上華族より朝野(ちょうや:官民両方を指す)の紳士、 若(も)しくは学者、医師等より碁家の本因坊、方圓社前社長其他数名も参会し、凡(およ)そ四百余名を算しました。
棋士の対局は坂田土居両八段を中心と致しまして、竹内、木見の両氏、 矢野、勝浦の両氏等が正面床の間の前に席を占め、午前11時此より指し始めまして、 午後8時此に目出度(めでたく)散会しましたが、 七段以上の分は大抵五十手前後にて指し掛けとなりまして、 之れ等は他日何れかに於て指し続く筈(はず)でありますが、 未だ其場所と時日は定まりません。 但し此分は別として遠来棋士の新たなる手合が新聞社の主催で開かるるやに伝えられましたが、 之れ等の事も次号に記載いたしませう。
此日指し掛けの中にて六段以上の分は記念のため左に掲げます。 何れも激戦に至りませんゆえ問題となるものはありませんが (前号に出せし小野名人の会で坂田氏が大崎氏に対し角頭の歩を突ひたと云ふ如き奇抜のものなきも)、
兎も角(ともかく)大家の作戦準備と駒組みの順席を伺ふには多少の参考となるだらうと思ひます。此外に勝負の定まったものは左記の数氏でありますが之は加評の上、次号より出します。
勝 手合い 負 五段 宮松関三郎 (平手) 五段 勝山庄次郎 五段 堀川 英歩 (平手) 五段 高濱 作蔵 三段 小林孝三郎 (香落) 六段 石原 丈右 四段 飯塚勘一郎 (平手) 四段 木村 義雄 五段 平野 信助 (香落) 三段 根岸 勇 三段 新明 留吉 (香落) 四段 小泉 兼吉 以上の外に指し掛け分は十余局ありましたが、左に出せるは其代表として見るべきものであります。
注)なお棋譜は横書きにしてある。
平手 先番 八段 坂田 三吉 八段 土居市太郎 ▲5六歩 △3四歩 ▲7八金 △6二銀 ▲7六歩 △5四歩 ▲4八銀 △3二金 ▲5七銀 △5三銀 ▲4六銀 △4四銀 ▲6八銀 △4一玉 ▲7七銀 △4二銀 ▲2六歩 △5二飛 ▲6六銀 △5三銀上 ▲6九玉 △6四銀 ▲2五歩 △3三角 ▲3六歩 △7四歩 ▲1六歩 △1四歩 ▲7九玉 △7三桂 ▲3七桂 △8四歩 ▲5八金 △8五歩 ▲7七角 △9四歩 ▲6八角 △4二角 ▲9六歩 △8二飛 ▲2六飛 △5二金 ▲3五歩 △同歩 ▲同銀 △5三角 ▲4六銀 △4二金右 ▲2四歩 △同歩 ▲同飛 △2三歩 ▲2七飛 迄にて指し掛け 見聞記 今回は坂田氏先手番にて午前11時此より指し掛け。 存外進んで夜の9時まで前記の如く50余手まで指したるが、 坂田氏云ふ何しろ二人の将棋は一週間もかかるのですから、 之れから先きが容易に進み兼ねますので此辺が指し掛けで巳むを得ません云々。 土居氏坂田氏の2四歩突に対し考ふる事一時間、指し掛け後に云ふ2四歩に対し3三銀と引ひて、 角で飛車取れと指し手もありますので考へてみましたが、思ひ返す処がありまして先ず先ず同歩と取って指しました云々(うんぬん)
平香交 左香落番 八段 竹内 丑松 七段 木見金次郎
※先後逆表記▲5六歩 △5四歩 ▲5八飛 △4二銀 ▲4八玉 △5三銀 ▲5五歩 △同歩 ▲同飛 △4二玉 ▲6八銀 △6二銀上 ▲5六飛 △3二玉 ▲3八玉 △8四歩 ▲7六歩 △8五歩 ▲7五歩 △6四銀 ▲7六飛 △3一角 ▲3六歩 △7五銀 ▲5六飛 △6四銀 ▲3五歩 △5五歩 ▲3六飛 △5三銀上 ▲5九銀 △5二金右 ▲3七桂 △4四歩 ▲1六歩 △4三金 ▲1五歩 △5四銀 ▲7九角 △4五歩 迄にて指し掛け 見聞記 両氏初手合せの上に竹内氏頗る奇抜の指しぶりに敵を翻弄せんとすれば、 木見氏綽々(しゃくしゃく:ゆったりとしている様)として何に香落などはと云ふ態度に、 ジリジリと駒組して懸りたれば僅(わずか)に40余手にて夜に入り指掛けとなる
平手 先番 七段 勝浦松之助 七段 矢野 逸郎 ▲7六歩 △3四歩 ▲5六歩 △5四歩 ▲4八銀 △6二銀 ▲5七銀 △5三銀 ▲6六歩 △8四歩 ▲7八銀 △8五歩 ▲7七銀 △5二金右 ▲5八金左 △4二玉 ▲7八金 △3二玉 ▲6九玉 △7四歩 ▲3六歩 △4二銀 ▲4六銀 △3三銀 ▲6七金右 △3一角 ▲7九角 △4四歩 ▲3五歩 △同歩 ▲同銀 △3四歩 ▲4六銀 △4三金 ▲6八角 △4六銀 ▲6五歩 △7三銀 ▲5八飛 △7五歩 ▲同歩 △同角 ▲6六金迄 にて指し掛け 見聞記 両氏も初手合なるが矢張り夜に入って指し掛けたるが矢野氏云ふ。 此将棋は之れまで時間を要しましたがm此後は存外早く勝敗の決する形です云々。
平手 先番 六段 高村徳次郎 六段 村越 為吉 ▲5六歩 △3四歩 ▲4八銀 △5四歩 ▲5七銀 △6二銀 ▲7八金 △5三銀 ▲7六歩 △3二金 ▲2六歩 △8四歩 ▲2五歩 △8五歩 ▲1六歩 △1四歩 ▲9六歩 △9四歩 ▲6九玉 △7四歩 ▲2四歩 △同歩 ▲同飛 △2三歩 ▲2八飛 △8六歩 ▲同歩 △同飛 ▲8七歩 △8二飛 ▲5八金 △4一玉 ▲6六歩 △7三桂 ▲6八銀上 △6四銀 ▲4六銀 △4二銀 ▲6七銀 △3三銀 ▲3六歩 △5二金 ▲6五歩 △5三銀 ▲7五歩 △同歩 ▲7四歩 △6五桂 ▲7三歩成 △8四飛 迄にて指し掛け 宗歩忌の創設
今回棋界の有志川上安之助氏の発意により、宗歩忌と云ふ宗歩師に対する一種の謝恩会が創立されたり、 天野宗歩師が棋士界中興の恩人にして現今の棋士は主として同師の著書将棋精選の定跡に依りて其棋力を研くことは、 同好者の知る処なるが之れに対して未だ何等の謝恩的の挙なきを惜み、 川上氏は先ず宗歩師の墳墓の所在を探査せしに同師が京都に葬られしと云ふは、 其妻女の誤りにして宗歩師は江戸本郷丸山の本妙寺(俗に振り袖火事のありし寺)に葬られ近時に至り、 同墓地の改葬と共に染井の本妙寺墓地に改装されて、現に将棋形の墓石まで存在することを発見し其忌日たる五月十三日を以って、 宗歩忌の創立を兼ね協議会を上野の伊豫紋楼に開き、 現今東京棋界の代表者として同盟社の土居八段、将棋倶楽部の関根九段、研究社の大崎七段を主とし、 其他在京中の竹内八段、前記三派の顧問某々氏等十余名を招待し、 其意見を問いしに何れも其主意を賛成して此に宗歩忌が成立し、 爾後(じご:それ以後)毎年五月十三日には会合して宗歩師の追福を営み、 且つ一日の棋会を催ほす事に定め、更らに明年の忌日までには一の規約を定めて同好者の入会を促す筈なりと云へり。 川上氏の主意としては和歌に柿本人磨忌あり、俳諧に芭蕉あり将棋も亦(また)宗歩忌無かるべからずと云ふにありて、 囲碁に先ちて此会を設けしものにて、之れ亦棋界の一向上と見るべく、 他日或ひは宗桂忌をも設くべきかとの議も出でたれば、 之れも何時かは具体化して生ずる時あるべし。
関根新名人の披露会が華々しく開かれたことが紹介されている。 出席棋士も実にオールスター級であり、 当時の交通事情などから考えて正しく将棋界空前の一大イベントであったと思える。 今日と違い解説の大盤や勿論映像中継も無い時代、 来場者は盤側で対局を観戦したのか、あるいは継ぎ盤であれこれ検討したのだろうか? なにしろ午前11時から午後8時までの長丁場、 どの様に会を楽しんだのかは興味深いところである。
続いて「宗歩忌」の設立の章は、新名人誕生で棋界が盛り上がっているこの機会を利用して新たなイベントを設立して、 世間の注目を集めるとともにファンの獲得を図ろうとしていることが伺える。 芸を生業にしながら、今日と違い確固たる組織をもたない当時の棋士達は、 普及への糸口を常に探し求めていたのだろう。
十二世から十三世 名人交代の時 雑誌を通じて見る将棋史4に続く
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