特集 十二世名人小野五平 その知られざる実力2

続いては時代を遡って、小野五平のルーツともいうべき天野宗歩との一局を紹介しよう。 五平はこの巨匠を前に全く臆することなく堂々たる指しまわしを見せ、内容は手合違いとも言える圧勝。 おそらく宗歩もこの新鋭の才に舌を巻いたのではないだろうか。 五平18歳の会心譜を御覧頂きたい。
(注)小野の生年から数えると満19歳のはずなのだが、ここでは本文に従った。

溝呂木光治八段著『小野五平実戦集』

前略

この手合は天野師が京都宅在住の折り、小野五平、即ち当時十八歳の土井喜太郎が門下に列する試験手合の如(ごと)きものである。 当時の小野氏は三段位の力は優にあるし、棋風も後年名誉有る棋士たる可(べ)き素質があると云われて、 添書を貰(もら)って、初めて天野先生を訪ねて行った時のことである。 天野氏は当時名人に半香を引くほどの腕前で、十一段と評される程の人だったから、田舎からぽっと出の少年小野氏に対しては、 故意にも無理筋の力戦を仕掛けてその力を試みようとした形跡が、この棋譜にも認められるやうに思ふ。 小野氏の方は、若くて元気溌剌たる客気を押へ、じっと忍んで、力戦に誘ひ込まれず、 最後の寄せまで読み切って豪雄天野先生を倒してゐるのは見事である。 私が小野氏の門にはいった時に「よく出来た将棋を敗ける様では、本当の棋士ではない。 敗けに決まった局も努力して一手違ひまでに漕付(こぎつ)ければ、又勝ちを制することもある。」と、 色々云はれたことを記憶してゐるし私が今回師の棋譜を全部調べて見て、 その努力の心持ちがよく現はれてゐることを痛感した次第である。

後略

天野宗歩七段(飛落)―土井喜太郎四段 嘉永四年(1851)4月20日

※ 喜太郎の四段免許は後日のはずだが記載通りとした。

上手の9手目3三角から3五歩は定跡外しで、まずはお手並み拝見といったところか。 それに対し18手目3六歩の仕掛が機敏、早速上手の作戦を咎めに行っている。 21手目4五歩で4三金右、3六飛、3四歩ではあきらかに失敗を認めることになるので、 こう反撃し紛れを求めて行く。

31手目4六歩に、もちろん同銀でも充分なのだが喜太郎は6五角から決めに行く。 34手目2六歩に3四角は3五歩、4五角、4六銀、5四角、同角、同銀、2二角でこれは形作りも出来なくなりそうで、6四銀は勝負手だ。 角を取り合って4四歩は大きな拠点。

以下手順に上手の陣形を乱して、48手目1一角成まで駒得に成功し下手大いに優勢。 53手目4八歩では当然5五角成としたいが5六香、同銀、同金で攻め合い負け、 1九角成とは辛い限りだが、もう少し手を稼いでこの若者の技量を見極めたいと思ったのかも。

61手目2九馬にあっさり4五飛とかわし6五馬と金を取らせて6六香、下手は既に勝ちを読み切っている。 68手目6三香成から銀を打ち込み、大駒を切って76手目6二金まで、以下は同銀の一手に7二金からの並べ詰み。 正に飛落ち下手のお手本とも言うべき快勝であった。

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