将棋の略史将棋博物館顧問 九段 木村義徳
日本将棋の成立
原将棋は賭博具として古代インドに成立した。それから西流してチェスとなり東流して象棋(中国将棋)や将棋になった。日本には中国から伝来した。案外に早い六.七世紀のことと推測される。伝来当初はチェスの様な立像型だったと推測されるが、やがて各駒に今日と同じく日本的な名称がつけられた。その方が馴染み易いに違いなく、各民族の将棋類は同様に変化している。次いで当時の木簡を切って漢字で表記するようになった。その方が作り易いに違いない。そして金将が二枚になり平安小将棋が成立した。その後持駒使用に改良され、次いで飛車角行を加えて今日のものになった。およそ十三世紀の頃と推測される。要するに少しづつの改良が積み重なって現行将棋に至ったのであろう。
家元の成立
一世名人大橋宗桂(1555)は京都の町人で当時の実力第一人者だったが、何の称号も無かった。その子宗古も同様。その後寛文年間(〜1672)に大橋本家。大橋分家伊藤家の三家が将棋家として徳川家に抱えられ江戸に移住した。故に二世名人迄は後世の追尊と言うべきだろう。御城将棋は寛永の頃から始まり幕末まで続いている。徳川家をバックに各家元は次第に権威を高めて行った。江戸期は平和が続いたため将棋は次第に流行し、幕末にはかなり隆盛した。それを背景に九世名人大橋宗英や、後に棋聖と追尊された天野宗歩などの名棋士が輩出した。
日本将棋連盟の成立
明治を迎えて各家元は禄から離れ次第に将棋からも離れて行った。混乱期に将棋の流行が衰退したからであるが、近代の勝負の世界に家元制がふさわしくなくなったからであろう。とは言え、明治の終わり近くから新聞に将棋欄が設けられ、今日的プロが可能性を持った。初めはいくつかのグループに分かれていたが、大正十三年に東京将棋連盟が成立した。次いで昭和十年には選手権制による名人戦が始まり、プロ将棋界の基盤が確立した。その後戦争期に入るが、敗戦後は比較的早く再出発し、昭和二十一年から順位戦も始まりその後順次タイトル戦を加え、現在の七大タイトル戦時代を迎えた。